日本とトルコの友好関係の始まりは明治時代にさかのぼる。1887年、小松宮夫妻の訪問に対する返礼として、オスマントルコ帝国海軍のフリゲート、エルトゥールル号が1890年(明治23年)訪日。明治天皇に拝謁後、帰路紀伊半島沖で台風に遭遇し遭難。地元串本の住民が救助に当たるも助けられたのは69名、死亡または行方不明者は600人近かったとされる。
トルコの義理堅さを表す逸話として、1985年のイラン・イラク戦争にまつわるエピソードがあげられる。イラクのフセイン大統領が期限を切ってイラン上空の民間機を含む航空機への無差別攻撃を宣言。イラン滞在の各国国民の退避が始まるも、当時日本の法律では自衛隊の出動は認められず。ナショナルフラッグたる日航も安全が担保されないことを理由の救出便を出さず、200名以上の日本人が空港ロビーに取り残される事態に陥る。ここでトルコが、エルトゥールル号の時の恩を返すとして自国民避難のための便を増便し、これを日本人脱出に充ててくれた。この時脱出するトルコ国民全てが搭乗できず、地続きゆえ陸路で約500名がイランを出たとされる。